17.02.03 (1/3ページ)
Vol.3

「モノづくり」 に大切なコト ~MONSTER CACAO~

2015年に誕生した、『MONSTER CACAO(モンスター・カカオ)』は、僕が常々、さまざまな取材などを通じて発信している、『モノづくり』において大切にしていることを“3つの能力”に分け、それぞれの要素を3体のモンスターとしてキャラクター化し、パッケージデザインに落とし込んだものである。

僕がモノづくりにおいて大切にしている要素は、
①「素材を探し、常に新しい素材(カカオ)を手に入れる能力」
②「自分が“面白い!”と思ったことを、世の中の人も面白いと感じる角度で切り抜くこと、またそれを発見する能力」
③「①②の能力を使ってアイデアを具現化し、新しいものを生み出し、それを伝える能力」
この3つだ。

順番が前後するが、まず最も大事な能力とも言えるのが、②の「自分が“面白い!”と思ったことを、世の中の人も面白いと感じる角度で切り抜く能力、またそれを発見する能力」だ。
一番分かりやすい例えで言うと、テレビ番組の「すべらない話」。あの番組は、普段は仲間内だけで話すような、身の回りに起きた面白い出来事を、発表しているだけのシンプルな内容。再現VTRがあるわけではないのに、場面がイメージできるし、誰が話されていても面白い。

皆さんも、幼かった頃を思い出してほしい。小・中・高の学生時代、似たような話を仲間内でしなかっただろうか?

面白い話ができた子は、誰を相手に話しても、みんなが大笑いしていなかっただろうか?

講演会などで学校へ行かせていただくとき、学生を舞台に呼んで、「最近面白いことあったか?」と尋ねる、という授業をよくさせていただく。すると、返事は「普通」「特に無いです」・・・・・・。「そんなことないやろ」と言って、少し突っ込んで聞いていくと、「通学に使っている自転車のサドルが盗まれて、見つからなかったので、最初から最後まで立ちこぎで帰りました」
「銭湯へ行くと、めちゃくちゃ話しかけてくるおじいちゃんがいて、ずーっと付いて来て、サウナまで付いて入って来られて、どうしよう?!と思ったけど、話が面白かったので、今度またその銭湯に行って話を聞いてあげようと思いました」
といった話をしてくれる子が現れる。もちろん、会場は笑いに包まれる。

子どもたちが、いかに普段から進んで人前で発信をしていないか、ということがご理解いただけただろうか?

中にはもちろんはじめから話せる子はいるし、背中を押してあげれば話が出てくる子もいる。はじめから話せる子は、実は学校では問題児扱いされていたりもするのだが、そういう子たちに対してこそ、僕たちのような、プロフェッショナルとして専門性を高めた仕事をしている人間にも役割があると思う。ある小学校では、講演会を通じて僕と出会ったことで劇的に変わった、という子がいた。その子は、はじめは退屈そうに、斜めから見ているような視線だったのが、話が始まると見る見るうちに表情が変わっていった。一番身を乗り出して真剣に聞いてくれていたと思う。そういう子は、理解してくれる大人を常に探している。その子は、自分でも「何とかしたい」ときっと思っている。その頑張っている部分を認めてあげて、「それを頑張りたいなら、こういう部分もしっかりしていかないといけないよ」と諭してあげることが大切。「サインをしてほしい」とその子は色紙を持ってきてくれたが、差し出したのはなぜか裏面。「なんでこっちなんや?」と聞いたところ「こっち(表)が踏んでしまって汚れてるから」とのこと。彼なりの敬意だったんだろう。その子の色紙には、サインと「今いる場所で超一流になれ」という言葉をプレゼントした。そして、「先生たちの言うことも聞かないといけないよ」とも。

少し話が逸れてしまったが、「面白い」と思ったことをいかに発表し、評価を肌で感じ、「次はこうしてやろう、ああしてやろう」という挑戦と反省を繰り返しできる経験が、子どもの頃からどれだけできるかが、将来一人の表現者として活躍していけるかに大きく関わってくる。目の前に「やらなくてはいけないこと」がどんどん増えてくる大人になってからでは遅い。そういった経験を積むには、子どもの頃が最も大事な期間であると思っている。

「ネタを見つけては発表する」という経験は、僕はそれこそ小学生の頃にたくさん積むことができたと思う。ターニングポイントは小学校3年生の頃に経験した転校。はじめは「転校生」という肩書きが人気を後押ししてくれるが、次第にそれが薄れていくことに気付いた僕は、「自分の人気の賞味期限」を意識し始めた。人気者であり続けるにはどうしたら良いか?常に面白いネタをみんなの前で発表し続けるしかない。「いつかはこの人気も消えてしまうのではないか?」という心配心。人気が衰えないような努力を、その当時はしていたのだろう。それが今の自分の中にも受け継がれている“心配性”の原点ともいえる。

今の自分で言えば、ケーキやチョコレートを生み出すことに繋がる発想は、ジョギング中に見た景色や漂ってくる花の香りや、食事をしていて、面白い素材使いがされている料理から生まれる。日常生活の中から見つけ出したネタから、「これがチョコレートで表現できたら面白いやろなぁ」「この味をケーキで表現できたらなぁ」という具合に、アイデアはどんどん蓄積されていく。そして子どもの頃から大人になった今でもどんどん蓄積されている経験値が、ケーキもチョコレートも、誰に召し上がっていただいても「すべらない味」として創り上げる過程で大いに役立っている。また、味だけでなく、お菓子の装いであるパッケージにも気を配り、中身のイメージがしっかりと伝わるものに仕立てあげなければ、という気持ちも湧く。僕の場合はチョコレートやお菓子だが、どんなモノづくりも同じで、自分が「これは面白い!」と思って切り抜いたネタが、みんなも面白いと思うものであれば、それは「すべらない作品」になるはずだ。

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