18.05.01 2018年5月号 月刊『YO-RO-ZU よろず』 「おいしい」の周辺⑦
第七回

[ 一人に届けようと思うからこそ ]

僕は学生たちや大人の前で話をする機会を与えられる幸せをいつも感じている。お菓子をつくりながら大事に思っていることを打ち明ける機会があって、それに耳を傾けてくださる人がいる関係は、とてもありがたい。そのときの話をする“熱量”は、子どもたちの未来を心配するから生まれるのであって、そこを何とかしたいと思わなかったら、人前に立とうという気持ちは起こらない。単にお菓子の話をしたいわけではない。
 そんな気持ちは、子どもたちの親御さんとも通じ合い、少しずつ地域の方々の間にも理解が広まってきた。十五年前には予想もしなかった喜びの一つだ。そして思い出すのが、オカンから教わったこと。自然の状況次第で虫が取れたり取れなかったりすることに驚く僕に、オカンは「虫の気持ちになれば分かる」と言った。親御さんも僕も、子どもたちのことが心配なのは同じだが、子どもに「失敗しないように」と言う大人と、「好きなことを深掘りしていいんだ」と言う大人と、どちらが子どもの熱量が育つだろう? そこに目を向けることが子どもの気持ちになる、ということでもあると思う。


周りの人たちは、僕のことを困難なことに突き進んでいく人間だと思っているふしがある。でも、僕自身は「活躍したい」という気持ちのほうが強い。だから、中学生になると、一回戦も突破できないほど弱小チームのバレーボール部にあえて入部した。そこだったら簡単にレギュラーになれると考えたのだ。
 しばらくは、のらりくらりと練習していたが、あるとき、京都府で一位と二位のチームを率いていた二人の先生が転任してきた。失礼ながら、一位のチームの先生は「おばあちゃんやんか!」と驚いてしまった。
 放課後、バレーコートに行くと、二人の先生が先に来ていた。そして、今後の方針が発表された。「通知表に『3』があったら退部」「一年以内に京都府の大会でベスト8」「一年生が卒業するまでにベスト3に入る」
 マジか!? 一回戦も勝ったことないのに!? そんな気持ちでみんな集まってないで! それが率直な気持ちだった。
 それまでも、「5」と「4」がほとんどで、「3」が少しある程度には勉強もできていたのだが、この先生たちのおかげで、音楽が「4」以外は「5」という成績になった。そのときの勉強の仕方は、今の仕事の段取りに確実に活かされている。二週間で六十種類の新作をつくることができるのも、そのときの経験を応用しているだけ。どこを外してはいけない、どんな順番で進めると自分はテンションが上がる、そういったことも中学時代に勉強で身につけたものだ。
そんな話も生徒たちにする。本当は、「俺な、オール1だったんや。それでもこんな賞を取れるようになって……」と言えば、ちょっとヒーローになれるかもしれないが、そううまくはいかない。だから、「もともと成績は良かったんやけどな」と語るようにしている。「自慢話したいんとちがうからな。あの頃身に着けたことが大人になっても活かされる、って話やで。決して俺の成績が良かったとか……」と二度押しすれば二度笑ってもらえる。
「『ベスト3』のほうは、どうなったんですか?」と聞かれると、「実際、ベスト3に入りました」と言う。ここもちょっと自慢できる話。


話は、一人を笑わそうと思っているからみんなにうけるのだ。数百人の中に紛れていると、人は「その他大勢の中の一人」になってしまう。少人数の集まりでは自分の知りたいことや言いたいことを素直に表すのに、大人数ではそこにブレーキがかかる。真面目に問いかけたり自分の意見を言うことがダサくて恥ずかしいと思うのだろう。
 でも、その空気は断ち切らなくてはいけない。真面目に耳を傾けたり対話することは、決して恥ずかしいことではない。自分自身にとって真剣に語り合いたいことは、その場にいる他の人たちにとっても大事な問題なのだ。自分の聞きたいことが他の人にも役に立つことかもしれないという想像力が恥ずかしさを超える勇気を生み出す。たった一人でも僕のお菓子をおいしいと思ってくれる人はいるはずだ、と信じているから僕はお菓子をつくり続けることができている。
 僕の『「心配性」だから世界一になれた』という本は、スタッフのI君に言っていることをまとめたのだが、だからさまざまな読者の反応があったのだと思う。最初から多くの人を対象に書いても、僕の熱量を行間に含ませることはできない。誰もが使いやすいように考えられたカバンほど誰もが使いにくいカバンはないのと同じ理屈だ。
 お店づくりも、万人に評価してもらおうと考えると、結果的に特徴のない面白くないものになってしまう。自分にとって楽しい、その理由はこうだから、と明確にできることのほうがリアリティがある。クリエイティブであるためにはリアリティを大事にするしかないのだ。
「いいものをつくる」と「みんなに好かれるものをつくる」は同じにはならない。「いいもの」とは「自分がいいと思うもの」だ。
 僕が出店場所を決めたとき、当時、何もなかった三田の高台に出すなんて、と多くの人が心配して言ってくれた。でも、ここでなければならない理由が僕にはあった。自然の中でおいしいケーキをつくる、たったそれだけの理由が。みんなに評価されようと思っていなかった。それが結果的に良かった。支店を出さないか、というお話を断り続けてきたのも、自分ができる範囲でないといいものがつくれないから、というシンプルな理由があるから。やっぱり、最後は熱量の問題に行き着くようだ。


生意気な言い方をすれば、「自然の中でつくるおいしいケーキ」「自分の目の届く範囲でやっていく」ということに価値があることを市場に“教育”していくことも僕の役目なのだと考えているところがある。
 あるとき、お客様がデコレーションケーキを電話でオーダーしてこられた。電話を受けたスタッフのメモには、いくつものご要望が列挙された。そして、彼女はどうやってケーキをつくったらいいか頭を悩ませている。たまたま隣で聞いていた僕は、メモを確認したうえで、お客様に電話を入れた。そして、「フワフワのものと濃厚なものはどちらがお好みですか?」「フルーツを多くするとこうなります、少なめにするとこうなります、どちらがよろしいですか?」と確認していった。すると、最後には「お任せします」と言われた。プロであることを信頼してくださってのお任せになったのだ。こうなると、お客様のご要望も分かったうえで、それ以上のものをつくろうと思える。
 僕は、電話を切った後、スタッフに言った。「僕たちの仕事はご要望を集めることではない。ご要望をディレクションすることだ」と。この経験がデコレーションとアニバーサリーケーキの専門ショップ「夢先案内会社 ファンタジー・ディレクター」になった。
 この「ファンタジー・ディレクター」を童話化した動画には「鍵」と「壺」が登場する。鍵は、人の心を開けるもの。言い換えると、人の気持ちを聴き取るヒアリング能力。魔法の壺には、あらゆるものが詰まっている。材料を取り出して夢をかたちにしていく技術力を表現している。お客様のご要望を聴く力とお菓子をつくる能力を使っていこう、という意味なのだ。鍵と壺の融合は、お客様と「エスコヤマ」の融合。情報として語るのではなく、物語にすることに意味があると考えて童話化した。人は必要なことを童話で学んできたと思うから。


でも、僕は、さらに先のことをイメージしている。地元の子どもがファンタジー・ディレクターへやってくる。そして、デコレーションケーキを持って帰る。友達に話をする。
「ケーキ屋なのに庭があるねん。銅で作った人形もあるし、暖炉や壁画もある。木もめっちゃ生えてんねんで。パッケージ使こうて図画も工作もできるで!」
「えっ! それケーキ屋か?」
 彼女、彼らが何屋さんになったとしても、子どものときに触れた“高いクオリティ”によってものづくりに携わってくれたらいいなと思う。

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