ブリュッセル駅から車で約40分。教会の大きな時計台のすぐ目の前に、僕がお世話になるパティスリー「Ducobu」が店を構えています。オーナーシェフのマーク・デュコブさんに案内された厨房は、ガラス扉から光が差し込み、明るく広々。きれいに整理された器具類には感心させられるばかりです。ここで、見送りに来てくださった小山シェフやエス・コヤマのみんなとはお別れ。さすがに淋しさが…。
その後は今日から寝泊りするウィリーさん宅へ。リビングへ通されて見渡すと、木彫りの熊、焼酎、日本刀、カブト、爪楊枝、ハチマキと、建物には似つかわしくないものがあふれています。夕食もウィリーさんが日本食を、しかもおいしく作ってくれて驚きました。後で聞けば、ウィリーさんは現役のコックさんだそうです。
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翌朝3:45。玄関先でデュコブさんを待ちます。軽快に飛ばしてきて、車から顔を出したデュコブさんが「Good
Sleeping」。これがこれから毎朝の挨拶になります。教会の鐘が4:00を鳴らすなか、店内へ。みんなから「シェフ」と呼ばれている女性。陽気なスペイン人のミカエルさん。びっくりするほど須甲さんに似ている日本人のケイコさん。7:00までにケーキをそろえるため、慌ただしくケーキの準備を手伝います。飾りはあくまでも"だいたい"で、毎日変わることもあるとか。ケイコさん曰く、デュコブさんの発想がすごいのだとか。朝出し後はシトロンクリーム、ガナッシュを仕込むのを手伝い、カスタードクリームを炊きました。ベルギーのバターや牛乳、生クリームのおいしさにはただただ驚かされるばかり。とても濃厚でおいしいのです。その後、掃除が終わるとお昼の4時。この日の仕事は終了です。
壊れたカーステレオを叩いて直しながら、デュコブさんの運転でウィリーさん宅へ。「ただいま」とキッチンを覗くと、あげたポテトとグラスにつがれたビールを差し出され、とりあえず乾杯。これも、毎日の帰宅後の風景になっていきます。
2日目の出発は1:45。辺りは暗く、正直とても眠い…。この日からエクレアにクリームを絞るのが僕の仕事になりました。フォンダン(=糖衣の一種)は熱を入れすぎてもツヤがなくなるし、固すぎても絞りにくいと、デュコブさんが熱く指導してくださいます。朝出し後は、ケイコさんとタルトタタンなどを作り、昼過ぎには仕事は終了。
夕食はウィリーさんの奥さん、マリーさんと。仏和辞書なしで会話は難しいものの、少しずつフランス語を覚えていく自分に驚きました。 |
6月4日。この日は日曜日で2:00頃から仕事を始め、いつもより入念に掃除をしたら終了だそうです。朝出しを終えてひと息ついた頃、お客様がアニメのキャラクターの絵を手に来店され、「これを作ってほしい」とリクエストなさっています。デュコブさんはしばらく考え、ホールケーキ数個とマジパンを取り出し、器用にケーキをカット。それをつなぎ合わせて形になったところにマジパンをかぶせ、色をつけました。終始、楽しそうに作り、でき上がると「どうだ!」と言わんばかりに見せてくれました。うちの小山シェフとよく似ている…。
血液型の話になり、デュコブさんは何型かと訪ねると、「医者か?」と聴き返されました。ベルギーではあまり血液型に関心がないらしく、知らない人も多いそうです。3日間一緒にいさせていただいて、なんとなくO型?とよんでいましたが、なかなか教えてくれず(そこがますますO型らしいのだが…)、やっと聴き出したらO型とわかり、みんなで大笑いしました。
翌日は仕事が休み。マリーさんが日本人の友人に会い、定番名所のグランプラスへ。近くにある「ピエール・マルコリーニ」にも寄って、日本では200~300円するショコラが50~60円なのに驚きました。
家に帰ると、ホームパーティ。ウィリーさん宅はベルギーに来た日本人が集める家らしく、初対面でも常にウェルカムな姿勢で迎えてくれます。ウィリーさんに「どうして日本人に親切なのか?」と尋ねると、「初めて日本を訪れた時にとても親切にしてもらった。それが忘れられず、今度は自分がベルギーに来る日本人に親切にすることで、感謝を形にしたい」と、笑顔で答えてくれました。なんとも言いがたい、心が"じわ~"と温かくなりました。
また、僕は1度だけウィリーさんの職場へ行きましたが、その途中、ワーテルローの丘にライオンの像が立っているのを眺め、風にゆれる小麦畑を通り過ぎました。そこでは時間がゆっくり。レストランに着くと、そこでも僕を温かく迎えてくれて、ますますこの国が好きになったのです。
研修はこの後も数日続き、様々なことを学ばせていただきました。
こんなすばらしい機会を与えていただき、本当にありがとうございました。 |

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