パティシエエスコヤマ研修旅行記2016

Vol.16 ミーソン散策 WRITER:西 浩司

入社2年目の営業企画本部の西浩司と申します。世界遺産のミーソン遺跡の散策をレポートさせていただきます。
今回、初めて研修旅行に参加させていただき、このミーソン遺跡のレポートを担当すること決まっていたため、予め遺跡について調べることができました。歴史的な背景などを予習したうえで、現地に訪問しました。

ミーソン遺跡とは、神々を祀っている聖地です。
現在では少数民族となっているマレー・インドネシア系のチャム族が築いた王朝・チャンパー王国が何世紀にもわたり神殿を建立し、神々の祭祀を行った宗教上の極めて重要な場所とされています。
チャム族はシヴァ神を至高の神、比べるものがない絶対的な神として崇拝し、神殿の中に、シヴァ神を象徴するリンガ(サンクリット語で“シンボル”。男性器の形をしている)を祀っていました。
4世紀に建立された最初の神殿は木造で、そこに東南アジアで最も古いリンガが祀られていました。7世紀から13世紀にかけては神殿は煉瓦造りとなり、歴代のチャンパー王朝が神殿を建立し、祭祀場として神霊が各チャンパー王朝の統治を承認する場所になったそうです。
チャンパー王国が栄えていた時代は、北ベトナムよりも高い建築技術を持っていたといわれています。海岸沿いに王国を築いているため、中国やインド、オランダなどの欧米にまで交易の幅がありその幅広い交易により、レベルの高い建築技術を取り入れていたと考えられているそうです。

チャンパー王国の北部にいたベト族(現在のベトナム人)が領土拡大のため南下し、チャム族と戦争となりました。この時の戦争は、殲滅戦とも言うべき残酷なもので、チャム族の王都ヴィジャヤの住民数万人を虐殺し、王を含む3万人を捕らえられたそうです。
この戦争後、チャム族は東南アジア各地に流民として散らばり、ベトナムにおいては小勢力となってしまいました。そのためミーソン遺跡は、その後500年もの間忘れられていましたが、1895年にフランス人によって発見されました。70以上の神殿が発見され、調査研究が進められました。しかしベトナム戦争時の1969年と1972年の爆弾投下により周辺の地域が破壊され、遺跡も瓦礫の地と化してしまったそうです。
ベトナム戦争のあと、ミーソン遺跡の神秘的な景観を取り戻そうと、様々な国際協力をもとに修築と保存作業が行われていますが、現在でもまだまだ知られていないことが多く残っている遺跡だそうです。

これまで知らなかった、チャンパー王国の宗教や建築技術の高さなど、歴史的な事柄を前もって少しでも予習しておくことで、実際にミーソン遺跡に訪れた際に、より深くより楽しく見学ができました。

私たちが訪問したのは、ダナン最終日、研修旅行の最終日でもある5月17日です。
天気は晴れ!気温は35℃!これでもカカオ農園を訪問した時に比べるとまだ涼しく感じました。
カカオ農園での研修を経て、買い物やビーチで遊んだ後の朝7時集合なので皆さんちょっと眠たそうですが、世界遺産を見られるということで、参加者は半数以上の30人もいます!時間は惜しみません。

バスは1台でガイドはアンさん。出発です!

バスは都会を離れ、河を渡り、田んぼ道を通り、ダナンから約1時間30分で到着しました。


ミーソン遺跡は近くまでバスで行くことはできず、到着後はカートに乗り換えて数キロ走ります。

ちょいワル顔のかっこいいカートに乗っていきます。


窓なし、ドアなし、シートベルトなし、この解放感で風を切って走るのはとても気持ちいいです。
このカートは数年くらい前から乗れるようになったそうで、それまではこの数キロも歩いて行っていたそうです。
ここを歩くと考えるとつらいですね。(笑)

カートで5分ほど走ると、中継地点に到着です。ここからミーソン遺跡まで徒歩で向かいます。
ここには休憩所やレストランなどがありましたが、休憩することもなく出発です。
道が砂利道になり、足元が悪くなります。ここから20分ほど歩きます。

転んでしまう人もいます。足元には十分ご注意ください。
デザイン室の鏡味さんもこけてしまいました。

遺跡が見えるまでは、大自然の中をひたすら歩き続けます。
大自然に囲まれながら歩いていると野鳥のさえずりや、セミの鳴き声、生い茂った木々の隙間から木漏れ日、草木の香り、マイナスイオン、広大な自然を五感で感じることができます。
また、色んなことにも気がつきます。
アリの大きさが日本より一回りくらいふっくらしていること、セミもゼーゼーと鳴いており、三田とは違う感じの声をしていること、草木もたくましく生い茂っていること。
シェフが見つけた尺取り虫を見て皆で盛り上がりました。小山ロール担当の岸本さんが棒でつついています。

遺跡の直前に休憩所がありました。

右手にはステージ、左手には休憩のできるスペースやお土産売り場がありました。ステージでは定期的に民族舞踊のショーがあるそうでしたが、今回は時間の都合上見ることはできませんでした。

さて、ここからがミーソン遺跡です!
大自然の中、一気に景色が変わり、迫力のある遺跡が立ち並びます。

遺跡は想像以上に広大で、2kmにわたり存在します。現在見えているものはごく一部のもので、今でも土地を掘ると戦争で瓦礫となった煉瓦が出てくるそうです。
ベトナム戦争でほとんどが瓦礫となってしまったため、研究時にグループA〜Hに区画分けを行い、修築されています。
現在もなお、整備をおこなっていました。現地の人があいさつしてくださいました。

こちらはグループCの建物です。

昔は王様とお坊様のみが入ることのできる神聖な場所ではありましたが、現在は「お客様は神様」ということから入ることができるようになっていました。
建物の中にはリンガ-ヨニ神を祀ってあったそうです。リンガは男性の象徴、ヨニが女性の象徴。「リンガは常にヨニと結合し一つになって整う姿を造形することで、シヴァ神の創造の力を表現している」とのことでした。
現在は、祭壇のみが残されており、祀られていたリンガ-ヨニ神はダナンの博物館に保管されているそうです。
それでも中に入ると、気が引き締まり、重厚な空気が神聖な場所であることを感じさせてくれました。

何世紀にもわたり建築されていたので、王も変わります。それによって建築様式が全く違っているらしく、グループB、グループC、グループDを見ても全く違うとのことでした。
また、煉瓦は焼いた土とはちみつと聖水を使用して作られており、7世紀から現在まで原型を保っているほど強固にできているとのことでした。

こちらはリンガのシンボルとして造形されている男性器と、ヨニのシンボルとして造形されている女性器が一つになっています。
こちらはカンボジアのアンコールワットにも同じようなものがあり、ヒンドゥー教の宗教の象徴として広く伝わっているとのことでした。
昔は子どもができない人がいた際に、リンガの上から水をかけてヨニを伝って流れた水を飲むことで妊娠することができるというチャム族の言い伝えがあったそうです。
この儀式を行った場合は男の子が生まれるそうです。
パワースポット的な存在だったのでしょうね。

こちらの写真の像は男性か女性かわかりますか?

初めて見る方には胸がふっくらとしているので女性のように見えるかもしれませんが、これがシヴァ神像なので男性です。頭がないのは、ベトナム戦争による爆撃でなくなってしまったそうです。
アンさんに聞くと、やはりベトナム戦争による破壊の影響は大きく、「もし戦争がなければより良い状態の遺跡が残っていたと思う」「まあ起こってしまったことだからしょうがない」と残念そうにおっしゃっていました。

シェフがグループAを散策しているときに、石に文字が書いてあること、セミの抜け殻があることを見つけられていました。

現地までの道のりでもそうでしたが、シェフは木に止まっている虫、木で休んでいる野鳥、石に刻まれている文字、セミの抜け殻など、よく注意して見ないと発見できないようなことをすぐに発見されています。
どんな時でも周囲に興味を持ち、行動されているのだと感じさせられました。

祠堂にはミーソン遺跡内で発掘された遺跡なども展示されていました。

これは戦争の痕跡ですかね?

生々しい傷跡ですが、見方を変えてみると隠れミッキーみたいで、これはかわいく見えてきたので撮りました。(笑)

この日は午後よりベトナムの方たちとの交流会のため、ミーソン遺跡内の滞在時間は30分ほどで帰る時間となってしまいました。
滞在時間は少なかったですが、世界遺産の迫力を感じることができ、とてもいい経験になりました。
来た道を戻り、ホテルへ帰ります。

このミーソン遺跡に関してだけでなく、今回のベトナム研修旅行を通して、普段の業務のなかではあまり関わりがない方々と一緒に行動し、お話をすることができ、その人の知らなかった一面や個性を見ることができ、チームとしての絆が深まったと感じます。
また、普段はなかなか見学することのできない、カカオ農園やチョコレート製造過程を見学させていただきました。1つのチョコレートができるまでに、何人もの人が作業をし、様々な緻密な工程を経て、できていおり、チョコレートの奥の深さを知ることができました。
小山シェフ、今回このような普段経験できない貴重な体験をさせていただきありがとうございました。また、研修中、英語の話せない私を助けて下さったスタッフのみなさんありがとうございました。