
青木定治氏と初めて出会ったのは10数年前でした。当時、彼はフランスの権威あるコンクール「シャルルプルースト杯味覚部門」で優勝し、日本人パティシエとして数々の賞を取り始めた時期。その彼がフランスに住んでいながら、驚いたことに、日本からTVチャンピオンの録画を毎回送ってもらっていたそうで、私のことをよく知っていたとか。そして、彼が主催したパーティに私を招いてくれたのが最初の出会いでした。
会場に行くと、「ごめん、ごめん」と主催の青木氏がなぜか遅れてやって来た。そして、差し出したのがこの日のために開発したケーキ「マンジャリ・シトロン」。そうです。青木氏の"遅刻"の理由は、今日のこの日に、みんなを本当に喜ばせるケーキを創ることに妥協を許さなかったため。そのサービス精神は強烈なインパクトでした。あまりに感激したので、その時に青木氏が持ってきた手書きレシピとイラスト、私がもらって今でも大切に持っています。
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以来、彼が日本に来たり、私がパリへ行く度に会うように。2001年のTVチャンピオングランドチャンピオン大会では、審査員のジェラール・ミュロ氏の舌に適うよう、青木氏が私のために材料集めから奔走してくれたこともありました。
さて、話は2006年5月30日です。約束通り16:00に、ポール・ロワイヤルに新しくできた「サダハル アオキ」へ青木氏を訪ねました。スタッフ20数名で押しかけたので、2隊に分かれて新しい厨房を見学。青木氏が隅々まで案内してくれます。
厨房見学の後、少人数で話すことになり、店内のテーブル席へ移りました。青木氏も一度腰掛けてからすぐに立ち上がってショーケースの前へ行き、私たちにお菓子を食べさせると言ってあれこれ迷っています。「小山っちに食べてもらうんだったら、どれがいいかなあ…」と。そして出てくるのは、私が食べたことのないケーキであったり、それについて語りたい素材であったり。"食べて楽しんでもらえるもの"を真剣に選んでいる。彼はあの時と同じ、まさに「サービスマン」なのです。
ちなみに、彼はそれについて「どう?」と必ず感想を聞きますが、それは"どう思う?"という相談では決してなくて、反対に"これなら、どうだー!"という自信の表れ。私もそれは同じなので(笑)、わかります。 |
テーブルを囲んだエスコヤマのスタッフに対し、「○○君、ここは暗い人立ち入り禁止なんだよ(笑)」などと冗談を言いながら肩を叩く青木氏。少し手荒な(?)方法でなのですが、彼はこうして相手の"明るさ"を習慣のように引き出します。
「プロは、明るくなきゃいけないよ!」というメッセージを、青木氏からビンビンに受けたエスコヤマのスタッフたち。その様子を見て、"ほれ、見てみー"と私はニヤリ。明るさが大切だということを、私も19歳でパティシエの道へ入った頃から思ってきましたし、それを毎日厨房でスタッフたちに伝えていますから。とくに今は、お菓子はおいしいのは当たり前で、そのお店、その店の"人"から発する元気のオーラがクローズアップされる時代なのです。
話し込むうちに、青木氏はマティーニを出してきました。店内で堂々とお酒を飲むオーナーシェフ…なかなか大胆でしょう? そうして時間を忘れて話すこと約1時間。"おっ、今日は合格できたな"と感じました。と言うのも、彼は相手が"明るい人間"でなければ、すぐに会話をやめてしまう癖が…(笑)。ですから、彼に会う時はいつも、彼の"明るい人間"コンテストの審査にかけられるような一種の緊張感があるのです。昔のテレビ番組で「のど自慢コンテスト」という番組があり、最後まで上手に歌い切ると「キンコンカンコンキンコンカンコンキンコンカーン」と鐘が鳴ったものですが、まさにその合格者の気持ちです。
そして、今度会った時はどんな話ができるかな?という期待で胸をパンパンに膨らませ、サダハルアオキを後にしました。
後日、彼にお礼を兼ねて、私が作った3冊の本を贈りました。すると彼からの返事はこう。「本から小山っちの元気がいっぱいあふれてるね。何でも元気が一番。これからもお互い元気で楽しいことをやりましょう」 |
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