Bonjour!(ボンジュール!)
今回のレポートは、ショコラ担当の中島が担当させて頂きます。
4日目、5月15日は希望者の約30名が『BONNAT』というフランス東南部、アルプス山脈の麓の街 “ヴォアロン”にある、1884年創業の老舗ショコラトリーを見学させていただきました。
フランスのBean to bar(産地で収穫されたカカオ豆を、その後の発酵・焙煎といった工程にも関わりながら、クーベルチュールを作りあげる。そのクーベルチュールを使って、バー(タブレット)を作りあげること。)
の元祖ともいうべき老舗です。1904年に世界で初めてシングルオリジンビーンズチョコレートの製造に成功されていて、現在は4代目、昨年創業130周年を迎えられています。
4代目のステファン・ボナ氏と小山シェフは親交が深く、毎年、パリのサロン・デュ・ショコラではたくさんのタブレットを「ぜひ試してみてください」とエスコヤマのブースまで持って来てくださいます。
ボナさんは、かつて小山シェフに「Bean to barはみなさんが思うほど簡単なことではありませんが、もしそれでもこのみちを目指すなら、とにかく情熱を持って続けることです。」と話されています。
ホテルのあるヴァランスからバスでヴォワロンに向かいました。約1時間半ほど走ると街中にあるボナさんのショップが見えてきました。
「ボナ」のタブレットのパッケージに印刷されている、2つの塔がある教会が目の前にありました。
「チョコレート工場まではもう少しだな」と内心思っていた時です。なんと、バスが停まりました。「え?こんなところにチョコレート工場があるの?」恐らく、大半の人が、不思議に思ったでしょう。表通りからは、ショップしか見えず、工場があるとは思えない佇まいでした。
店内に入ると、少し待ち時間がありました。最も目につきやすい所にタブレットが陳列されていて、大量に購入されるお客様もいらっしゃいました。とても人気のあるお店で、日本よりもチョコレートを食べる文化が根付いているんだろうなと思いました。
「ボンジュール!」ボナさんが歓迎してくださいました。
工場見学は、2グループに分かれてさせていただきました。
まずはボナさんの自己紹介から始まりました。
ボナさんこと「ステファン・ボナ氏」です。9代目のパティシエです。ショコラティエとしては4代目にあたる、とても伝統のある職人の家系です。
家系自体、1000年以上も続く由緒正しい家柄で、家紋が、ロゴマークにもなっているそうです。
左右のイルカがヴォワロン地方のシンボル。
上の部分が王冠。
ボナさんのご先祖の方々は世界中を旅し、中にはマルコポーロの様にシルクロードを旅した方もいらっしゃったと言われているそうです。
工場は、思っていた以上に奥行きがあり、想像していたものとは全く違いました。
パティスリー、コンフィズリー、ショコラトリーの3つに分かれており、まずはパティスリーから見学させていただきました。
こちらは1856年に作られた焼き釜です。
150年以上経つ、現在でも現役で使っていて、温度は220℃まで上がります。
パティスリーの仕事は午前中には終わり、アイス以外は基本的に冷凍しないとのことでした。
次はコンフィズリーです。砂糖を使った作業はこちらで行われます。こちらで作ったものはチョコレートにも使われるそうです。
火、スチーム(蒸気)を使って加工します。
このスペースは今年の夏にリノベーションする予定だそうです。
ボナさんは、「コンフィザーやリコリスト(シロップなどを作る職人)の作業はショコラティエの基本。
ショコラティエも元々、そこからスタートしている」とおっしゃっていました。
ここで簡単に、現在、私達が口にする「チョコレート」ができるまでについて説明させていただきます。
古代マヤ文明などでは「チョコレート」は、現在のホットチョコレートのようなドリンクとして王族たちが飲むものでした。
1875年に、もとはろうそく職人だった、スイスのダニエル・ピーターによって初めて板状のミルクチョコレートが売り出されました。1880年にスイスのロドルフ・リンツによってコンチング(高温で何時間もかけて慎重にチョコレートの生地を練る工程です。時間をかけてコンチングすることにより、不必要な酸味を飛ばすことが出来ます。)の技術が考案され、美味しいビターチョコレートが作れるようになったそうです。
19世紀後半、3代か4代前のショコラティエ、フリュック・ボナさんの時代に、パリで万博が開かれました。
そこでチョコレートを作るための機械の職人に出会い、その機械を購入されたそうです。1883年にその機械が到着し、その時に完全に独立したチョコレートのアトリエが出来たそうです。
その機械を使って作ったチョコレートが1884年に初めて販売されたとのことでした。
ボナさんのショコラトリーでは56種類のカカオが使われていていました。ハイチ産、ベネズエラ・チュアオ産、メキシコ・ソコヌスコ産、ブラジル・マラニョン産などがあります。
カカオの産地に自ら訪れ、プランテーション(大規模な農園)での生育状況から、発酵、乾燥までの品質のチェックをされています。
まずは品種をチョイスして、発酵、乾燥の日数を決めて加工したそカカオを輸入されているそうです。
ボナさんの所に到着したカカオはまず、この機械で焙煎されます。
焙煎の時間、温度は量によって決められます。
その後、
ハスク(外皮)とカカオニブ(胚乳)に分けられます。
ボナさん自らデザインをされたもので、車のモーターに似たようなかっこいいつくりになっています。
さらに先に進みます。
ここでは出来たカカオニブを粉砕していきます。
今使われている機械のシステムは1950年頃に設置されたものです。約60年間、どこも変えていないそうです。
約60年、システムを変えずに維持し続けることはとても大変だと思いますが、その事はチョコレートの味がぶれないためにも、とても重要なことだと思いました。
小山シェフが機械の色を「最初からこの赤だったんですか?すごくいい赤だ。」とおっしゃっていました。ボナさんは最初からこの色で、赤は『BONNAT』の赤でもあり、偶然にも好きなカラーだという事でした。
ボンボンショコラの箱や、ショッパー(紙袋)もこの赤です。
この機械にはトータル250キロが入り、動かすことができます。
例えば100キロのカカオと100キロの砂糖。これを最低24時間かけて18〜20ミクロン以下に砕きます。20ミクロン以下の細かさになると、人の舌では粒子を感じません。
次に50キロのカカオバター、もしくは200グラムのレシチン(主に大豆を原料にした乳化剤)を加えます。ボナさんの所では、値段は高くなりますがカカオバターを使用されています。レシチンを使わないことによって、アレルギーの方でも食べられるというノンアレルギーの商品にこだわっていて、その事は実際に証明もされているそうです。
次はコンチングによって酸味、雑味を取り除きます。
「この素敵な機械は他では絶対に見ることは出来ないよ!」と、とても誇らしげにされていました。
次はエンローバーです。
「エンローブ」とは覆うという意味で、エンローバーは何かを芯にしてチョコレートをかける機械です。
全部で8つのエンローバーがあるそうです。
ボンボン、ミルクタブレット、ノワールタブレット、プラリネなどは種類が混ざってしまわないように、別室になっているそうです。
使っている水も、ろ過したもののみが使用されていました。
2000年以降はオーガニックのものにこだわっておられ、ビオ認定も54番目と、とても早くに取り組まれたことがわかりました。
ボナさんは私達に対して、丁寧に、そしてとても熱心に説明してくださり、色々な質問にも答えて下さいました。
工場見学の後は、お店の隣に併設されているカフェスペースで、ホットチョコレートとスワンの形のシュークリームをいただきました。
シュークリームにはメキシコのバニラが使用されています。中には苺、フランボワーズ、全卵のカスタードが入っていました。
卵白の成分のうち約90%は水分です。
全卵で作れば、卵の風味、コクは少なくなる様に感じました。更に卵白に含まれるたんぱく質は熱によって固まるので、卵黄だけで作ったものと比べると口当たりのなめらかさは劣るはずです。私は実際食べてみて、とてもしっかりとしたカスタード、しかしあっさりとした味わいが印象的でした。
小山シェフは「とても懐かしい味だ」とおっしゃっていました。
ボナさんに小山シェフが今年のC.C.C.のコンクールに出品した新作のボンボンショコラも試食していただきました。
デザートを食べ終えたり、工場見学を終えたエスコヤマのスタッフが、世界レベルのショコラティエお二人がどのようなお話をされているのか、興味津々でテーブルの周りに集まってきました。
結果発表が行われる10月末まで詳細は明かせませんが、とても真剣なひとときでした。
その後はショップでお買い物です。
こちらが「ショコラトリーボナ」で一番最初に発売されたタブレットです。「1903」という文字が見えました。
「実は、こちらのタブレットのデザインが映画『チャーリーとチョコレート工場』のチョコレートのモデルになったんだよ」とボナさんが、小山シェフにこっそりと教えてくださいました。
その他にもボナさんの一番古いレシピのヘーゼルナッツをつかったプラリネのボンボンショコラもいただきました。
昔から変わらない味で、今でも人気の商品だそうです。
今回、ボナさんのショコラトリーを見学させていただき本当に良い経験になりました。
カカオの買い付けから焙煎、製造のすべてを自社で行う、いわゆる「Bean to bar」。
世界的にも流行している今、なんとなくは想像出来ていましたが、実際に目でみることで、しっかり形となって理解できました。
130年以上も続けてこられていて、ボナさん自身も、昔からある商品が今でも皆さんに受け入れられている事をとても誇りに思っていらっしゃる様子で伝統的な、正統なチョコレートを作る老舗のショコラトリーという印象をうけました。
製法や機械も昔のままで、伝統を受け継ぎ、守り抜いている事はとても素晴らしいことだと思いました。それと同時に、今回の見学では自分達の働くエスコヤマはどういうお店なのか、客観的に比べることが出来た気がします。
他を見ることで、自分達を知ることが出来るきっかけにもなるのだと思いました。
エスコヤマでも、昨年、小さな機械を使って「bean to bar」の実験を行ったことがありますが、非常に難しく、残念ながら小山シェフのイメージする味を実現出来なかったことがあります。カカオ豆の選別、発酵、焙煎といった技術はどれもかなり専門的な技量と経験が必要で、もっともっと勉強と経験を積まないと、到底たどりつけない領域だということを思い知らされました。
かつてのボナさんの言葉「Bean to bar は生半可な気持ちで取り組むべきではない」ということを改めて実感するできごとでした。
小規模な「Bean to bar」は、世界中、そして日本でもたくさんあります。
ただ、「Bean to barとは単にカカオ豆からクーベルチュールを作る行為ではない」と小山シェフはおっしゃいます。
小山シェフの考える「Bean to Bar」とは、「世界中のまだ見ぬ素晴らしいカカオとの出会いや感動を広く人々に伝えること」がその本質であり、その目的に至るまでの“プロセス”こそがBean to Barだということです。
シェフは、これまで、マダガスカル・エクアドル・コロンビア・ベトナム・インドネシア・・・・数々の産地を訪れ、今年の夏も、コロンビアを訪問されます。
そして産地を訪れる際に、事前にクーベルチュールの味から逆算して、「原料のカカオはきっとこんな味だろう」という仮説を立てるそうです。実際に現地では、カカオの育っている土壌に触れ、生のカカオのフルーツを食べ、その種を噛んでテイスティングをされ、また、発酵や乾燥の過程を確かめ、「こういう理由で、このクーベルチュールの味が生まれたのか」という答え合わせをされています。
こうして地道にトレーニングを続けていけば、その能力を身につけられるだろうと考えておられます。
産地を訪れる他にも、世界最新の日本未入荷のクーベルチュールの情報を集められています。
パリのサロン・デュ・ショコラでは多くのクーベルチュールの製造業者が、毎年、見たことも味わったこともない個性豊かな新作のクーベルチュールを披露しにエスコヤマのブースにやって来てくださるそうです。
そうして、エスコヤマで個人輸入をしているクーベルチュールは20種近くにもなりました。
今回の見学で、ボナさんのショコラトリーには沢山の立派な設備がありました。想像していたよりもとても大きかったです。『BONNAT』は伝統のあるお店だからこそ、経験、技術が豊富です。だからこそ、しっかりとしたシステムが出来上がっているのだと思いました。
エスコヤマのショコラはこれからも小山シェフに率いられ、進化し続けることは間違いありません!
私は少しでもショコラの一員として、力になり、いつも楽しみにして下さっているお客様のもとに美味しいショコラを届けたいと思います。最後になりましたが、ボナさん本当にありがとうございました。