vol.27
「目に見えないもの」
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 実際に被災地を訪れると、自分がいかに対岸の火事を見ている人間であったか、ということがよくわかりました。対岸で見ているときは、やれ原発、やれ政府の対応などに批判的な感情を抱いていましたが、実際対岸にわたってしまうと、感じるのはそんなことよりも不安感。放射能の怖さでした。いわき市は原発から60km。 政府の見解では安全である、と謳っていますが、それとは全く反対の意見もインターネットで見ました。「もしかしたらここも汚染されているのではないか?」そんなことが急に気になるようになってきました。放射能は目に見えません。だからどこが汚染されていてもわからず、なんとなく、「ここは大丈夫か?」なんて勘ぐってしまいます。揺れる車の中、窓から入ってくる風にすら不安を感じました。もちろん、放射能のことは、ここを訪れる前からわかっていたつもりなのですが、実際この街に来たときは思わず、「本当に大丈夫なんだろうか?」と心配が脳裏から離れません。しかも、その日は小雨が降っていて、雨に当たることがその不安を助長させました。

訪れたのは、震災からちょうど100日目の日。被災地の各地では慰霊祭や集会が行われていました。そこに我々が訪問させていただきました。双葉郡広野町の方たちも、原発問題で苦しむ中、自分たちも頑張ろう、と町民を集めてBBQをしていました。震災以来初めて町民が集まったそうです。しかし、そこで気になるのが、町民の少なさ。町民も多くは放射能汚染を心配して県外に出て居なくなってしまっています。
ある人が言いました。

「頑張ろう、頑張ろう、言うけど、原発がある限りそんな復興気分になれるわけない。」

また、ある人は

「県外に出てった連中は帰って来んよ。こんな人数でどうやって復興できる?」

 簡単にネガティブな思考に陥ってしまえるこの現状で、それでもどうにか頑張ってやって行こうと町民が集まってBBQをしていました。その会場で小山シェフがお店から運んだ一本丸ままのバウムクーヘンを切り分けて皆さんに食べていただきました。あと、焼き菓子の詰め合わせも皆さんに配りました。

 子供たちが口々に
「こんな美味しいもの、初めて食べた。」

 皆が喜んでくださったのを見て我々も嬉しかったのですが、本音は、自分たちの訪問を受け入れてくれたことに安堵していました。 あるおじいさんは、

 「仙台や岩手には物資や報道記者さんが行っても、我々のところには誰も来ん。あれ(原発)があるからな。」
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写真 写真  サッカーチームの子供たちは大きな声で「ありがとうございます」と言ってくれました。そのお母さん達は皆、「頑張っペ、福島」というTシャツを来ていました。

 街を車で走っていて気づいたことは、お店の窓や車などいろんなところに、
「頑張ろう福島」や「Hope」などの看板やステッカーを貼っていることです。困難な状況にあり、震災以降時が止まった人。それでも、前を向こうと努力する人。どちらも沢山いたように思いました。




ある高校生の女の子が集会で呼びかけていました。

「もう、これ以上頑張ろう、頑張ろうって言われても、じいちゃん、ばあちゃん達はうんざりしているかもしれません。でも、言わせて下さい。みんなで頑張ってここを乗り越えて行きましょう。」

 大変な状況の中なのに、皆さんとても我々一行を本当に歓迎して下さり、感謝してくださいました。「被災地に行ったら逆に励まされた。」そんなことを何かで聞いたことがありますが、まさにそれです。逆境に耐え、頑張っている人を見ると、日々の自分を素直に省みることができるのでしょうか?この感情がどっから湧いてくるのかよくわかりませんが、胸が熱くなりました。

 広野町の方々のもとを出て、地元の方の案内で我々は海岸沿いにでました。津波の被害を見るためです。海岸沿いの被害はテレビでみたままの状況でした。家は流され、鉄骨が曲がりくねって、消防車はスクラップになって、周辺から集められたゴミの山は3階立ての学校の屋上を超えていました。空虚で無力な雰囲気はテレビからは感じることができなかった感覚です。
 誰かが言いました。

「所詮、人間にはどうすることもできないっぺ。」

 海岸を後にし、我々は避難者が宿泊している温泉街に行きました。震災、そして、原発でその温泉街には旅行者が激減。だから、空いた部屋を避難者の方に一日5000円で使っていただくようにしているようです。その5000円も自治体からの補助で賄われているため実質無料。それはいいアイデアですが、旅館はそれでは食べてゆけないので従業員を解雇して、最低限の人数で旅館を切り盛りしている状態です。経費削減か、それとも節電のためか、エントランスの電気が消えている旅館もありました。旅館が薄暗いと余計に沈んだ雰囲気が出ていました。いわき市には原発からの避難してこられた方と、原発の労働者の両方がいて、いろんな噂が駅やコンビニなど街角に転がっていました。テレビで報道される政府や東電の見解と、原発労働者の声が交錯する中、避難してこられた方たちは一体、今回の一連の原発事故をどう感じて過ごしているのでしょう。現地の厳しい現実をこのお菓子を食べて、また、頑張ろうなんて思ってくれると嬉しいですが、そこまで望みません。ただ、食べている瞬間だけでも、このどうしようもない現実を忘れていただければ幸いです。

 ちなみに、8月31日までで旅館に滞在するための補助金は打ち切られます。そして、避難者の方々はそれまでの間に、仮設住宅に移動しなければならないそうです。

  私は仕事がら、その土地の自然がとても気になります。福島の自然は美しく、見た目には全く問題ないように思えました。しかし、放射能のせいで、その美しい森や川の水すらも汚染されていることを考えると、我々の文明はとても大きなミスを犯してしまったように思えます。しかし、反面、この被災地訪問で気づいたことは、決して津波に流されなかったモノもあるということ。
それは、人と人との繋がり。皆、家族のこと、友人のこと、近所の人のことを思い、また、そこに希望を見出していたように思えます。家族を思い故郷を離れた人、家族を思い故郷に残ったひと。生き残った意味を感じる人、亡くなった方を思って頑張る人。人が人を思う気持ちでつながってゆく、そして、その気持ちがその人の明日をつくる。
あるえらいお坊さんは言ってました、

「形あるもの、目に見えるものはいつかは滅びる。何もないとは良いことなんだよ。」

もしかしたらそうかもしれません。いろんな物質的なモノが津波にさらわれて、本当に大事なものが見えた、そんな感じでした。大事なものって目に見えないのかもしれません。でもすぐ近くに感じることができる。もしかしたら心の中にあるのかもしれません。

「家族を大事にしよう。」

そう思える福島の被災地訪問でした。

この度の被災地訪問で最も心に残った言葉、それは、コヤマシェフが被災地の方に語っておられたことです。それを最後に紹介させていただいただきます。

 「震災を言い訳にしてはいけません。復興とは形のことではなく、心の問題だと思います。僕は神戸の震災で被災してそれを痛く感じました。だから、その気持ちを持ち続けるためにも、そして、あの時皆さんにお世話になったからこそ、我々は継続的に東北の方々の支援をしてゆきたいと思っています。」

また、ハジメルプロジェクトの活動を報告します。
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更新日11.9.6


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