18.08.01 2018年8月号 月刊『YO-RO-ZU よろず』 「おいしい」の周辺⑧
第八回

[ 技術って何だろう? ]

ある高校から、ケーキのつくり方の実習と講演の依頼を受けた。僕は時間の許す限り、学校や地域で話をすることは断らないようにしている。それは、生徒・児童に対してもそうなのだが、教師や保護者に聞いてもらいたいことがたくさんあるからだ。子どもの想像力や創造力を伸ばしたり潰したりするのは大人次第だということを実感しているからだ。
ところが、その高校の校長先生とお話した際に、いくつか気になることがあった。
「こうして世界的に活躍されていらっしゃるのは、やっぱり小山さんの腕ですよね?」
 と聞かれたのだ。僕は答えた。
「腕もあるかもしれませんが、それはケーキ職人としては当たり前のものですから」
 十九歳から製菓学校でケーキを〝再現〟する技術を学んだ。その技術を「腕」と言うのならば、確かに僕には腕がある。でも、僕に限らずケーキ職人はみんな持っている。
そして、こうも尋ねられた。
「小山さんとこは、お弟子さんは何人おられるんですか?」
 前の「腕」という質問から考えると、おそらく「弟子」と言われた意味は、ショートケーキやシフォンケーキなどを再現できる技術を持ったスタッフは何人いるのか? ということだろう。


でも、僕は、すでに世の中にあるものを僕の指示で再現する「弟子」を求めてはいない。どんなことでもかまわないから、世の中にないものを自分で生み出していけるスタッフを育てたいと思っている。
「電話の応対だけでもお客様に好印象を持ってもらえる人も、お客様との対面販売で自分のファンをつくることのできる人も、商品をおいしそうな言葉に表現したり、パッケージデザインとして新商品の魅力を引き出してくれる人も、数字で全体の動きを捉えることができる人なども、すべて僕は『お菓子屋さん』と呼んでいます」と言うと、校長先生は「えっ?」と驚いた顔をされた。
僕にはお菓子づくりの技術があると校長先生は見ておられる。じゃあ、そのときの「技術」って何だろう? そこが問われてくるはずだ。教育者である校長先生が言う「技術」、お菓子づくりをする僕の言う「技術」、他の人たちの考える「技術」、それをそれぞれに問い続けることが大事なことだと思う。「技術」と口にして分かったつもりになっているだけでは、人に教えることはできない。仮に、教育者の考える「技術」が「入試問題の解き方」だとすれば、僕は困る。生きることが困難になっても乗り越えていける「技術」を内面に持った若者を僕は採用したいのだから。
「技術」というもの一つとっても、ジャンルを超えて対話ができ、学び合うことができる。だから、お菓子屋の僕が生徒たちやビジネスマンに伝えるべきこともあるし、農家の方からお菓子屋のスタッフが教わることもあるのだ。


よく耳にする「社会に出て仕事をするにはコミュニケーション能力が大事だ」という言い方も、何を意図したコミュニケーションなのかを考えていく必要がある。単に言葉のやり取りをするのがコミュニケーションではなく、相手の状況を思いやったり、お互いの目指していることを尊重しながらのものであってほしい。つまり、想像力を持ったコミュニケーションが創造力につながるということ。ご飯を食べたり、掃除をしたり、商品を手渡しする、その普段の行動の中に、想像力を培っていくチャンスは無数にある。


もちろん、全員が新商品を開発する人になる必要はない。示された「完成」に向かって丁寧につくり上げていく能力のある人もなくてはならない存在だ。だけど、初めから自分には新しいものを生み出す力などないと思ってしまうのは間違いだ。もしかしたら、子どもの頃は、自分で何かを発見したり、いろいろと試しながら「こんなん出来たで!」と友だちに見せて楽しんでいたのに、大人になるにつれてその能力を押し隠し、そんな自分の経験を忘れてしまっているだけかもしれない。あるいは、面白いアイデアは持っているけれど、具体的にケーキにしたり、音楽にしたり、小説にするという〝変換の技術〟が今の段階では足りないだけかもしれない。もしそうだとしたら、自分が持っているものを再発見してみようよ、と僕は言いたい。
どんな人にも想像力が必要だと言うのは、それが自分の主体性の問題にもつながるからだ。先輩に教えてもらうことは大事なことだが、先輩だって間違っていることもある。先輩の指示する〝再現〟を超えようと思っているのならば、なおのこと自分自身で見極めていかなければならない。その能力は、小さい頃から親やきょうだいと暮らしていく中で自ずと受け取っていたりする。あるいは、遊びや図鑑や漫画を通して蓄積されるものもある。だから、「技術」の意味合いを狭くしてはいけないのだ。


僕の、負けず嫌い、常に反省する習慣、心配性、といった性格を育ててくれたのは母親のおかげ。こんな性格をひっくるめて「自分スタンダード」が確立されたと思っている。賞を取っても反省する、お客様に喜んでいただいても明日はそれ以上のものが生み出せるか心配になる、といったことが自分に決して満足しない向上心の要因になっている。
ということは、性格が形成される幼少の時からオリジナリティは培われていくのであって、製菓学校に入った十九歳からその能力を身に付けていくわけではない。もっと言えば、オギャーと生まれた瞬間から周りの大人たちを笑顔にしてあげる才能が誰にでも備わっていると僕は思っている。ところが、無邪気に表現していたその子どもも、徐々に、思っていることを口に出さなくなり、伝えたい気持ちを抑えて、表現をしなくなる。それならば、なおのこと意識的に、いわゆる技術だけでなく、さまざまな要素をバランスよく獲得していく必要がある。自慢するためにではなく、人を喜ばせるためのものとして。


年間に数百もの新作のアイデアを考え続けていると、「アンテナの張り方がすごいんでしょうね?」と言われる。僕の中では「アンテナをたくさん張る」というよりも「いろんなことに興味を持つ」という言い方のほうが的を射ている。「これ何?」「どうしてこんなん思いついたの?」「何が入ってるの?」と興味が湧くから、もっと知りたくなるし、質問したくなるし、思いついたことは試してみたくなる。
受け身で教わることだけをやってきた人には、手順を知って満足する人が多い。手順に興味のある人は、どうすればアイデアを思いつくことができるのかが分からないようだ。そういう人は、他の人の思いついたことに興味を持つといい。
最も肝心なのは、発想、アイデア、思いつき。そこが自分の独創性。それを具現化する手順はその後についてくる。


僕が「何とかいけそうかな」とちょっと安心できるのは、アイデアが何百個か貯まったときだ。


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