21.05.20 (3/6ページ)
Vol.16

持続可能なモノづくり
~What is the true meaning of sustainable?~
サステイナブルの真の意味とは?

「戻る」というのは「退化する」という意味ではない。 「もうちょっと丁寧につくる」「もうちょっと本質を大事にしてつくる」とか、嚙み砕いていえば「このチーズケーキに、もうちょっとこんな要素が加わったら美味しいのに」というイメージを素直に具体的な形にすることである。


それは現代の「効率至上主義」「手間を省く時代」に逆行している。 しかし、単純に手間をかけたら良いというものでもない。 素材の本質を理解した上で、自分の持てる技術を駆使して、手間をかけるべきところには丁寧にかつ徹底的に時間をかけて生産者の方から受け取った素材を最後まで活かし切らなければ、生産者の方にも素材にも、買ってくださるお客様にも失礼だ。


だから、テーマとして世に発表するのであれば、世間の効率を求める考え方に対するアンチテーゼという意味では「戻る」という表現になってしまうが、エスコヤマとしてはこれまで大事にしてきたことと、何ら変わらない。 それをどう言い表すか、という言葉選びはこれからだが、自分のなかでこのテーマを現時点ではそう理解している。


こんなことを考えている中で、「あぁ、やっぱりこのテーマだな」と思ったエピソードがあった。 丹波篠山にある蕎麦屋さんでの話だ。 大将が、「小山くん、今度、昼間に蕎麦のタイムが終わったら、俺の趣味でコーヒー淹れて、喫茶店というよりは、俺のコーヒーを飲みたい人が来てくれるような、そういう時間が過ごせる場所として開放したいねん。 またコーヒー飲みに来てな」と言われ、そのときに飲ませていただいたのが、いつも僕が好んでショコラにも使うようなフルーティーなコーヒー。

記憶に残る味わいだった。 大将は豆の品種や産地を教えてくださったが、「味の決め手となっているのは、品種や産地の話じゃないな」と感じ、「焙煎した豆を買ってらっしゃるんですか?」と聞いたら「いや、買ってない」「自分で焙煎されているんですか?」「やってるよ」「ロースターは何を使っているのですか?」「そんなん使ってないよ」というやりとり。 ご自身で網を使って豆を直火でローストされているということだった。 「なるほど、やっぱりそういうことか」と。 それがショコラの試作で実際に形になった時、味もイメージ通りに表現でき、テーマも「これやな」と、決まった。


効率を求めれば、手順や判断基準がマニュアル化されていくことになるが、エスコヤマの場合はいくら効率化を進めようとやはり最後は僕が見極める。 蕎麦屋さんのコーヒーは大将本人が見極める。 その人の技術や目利きがしっかりしていてちゃんと「私がやりました」という判を押せる。 そういうものがこれから大事になってくるだろう。


だから、世の中に「そういう、“人の温度”や“息吹”をもう少し宿していこう」と、世に発信したい。 それは今の時代の流れに沿わないことかもしれないが、必要とされている考え方だとも思う。 メッセージというよりも「そういうことが無くならない世の中であってほしい」という“願い”だ。


僕に素晴らしい素材を提供してくださる生産者の皆さんは、上記でいう「私がやりました」と判を押し続けてこられた方々だ。 その努力に敬意と、改めて感謝を申し上げたい。 皆さんの力強いモノづくりが僕の作品に力を与えてくれる。 だから、お客様に伝わるものになる。 僕は消費者の皆さんに届ける側であるが、生産者の皆さんからは受け取る側の立場。 受け取る側の責任を果たすために、妥協せず、モノづくりに全力で取り組んでいる。

「麺づくり」が気づかせてくれたこと

これからの創作は「もし、(何でも凝り性な)僕が家で作るなら」という感覚の商品が多くなってくると思う。コロナ禍で外食の機会が大幅に減り、今、僕は家でも料理をめちゃくちゃ作っている。「もっと美味しくするためにはどうすれば良いか」しか考えず、手間をかける。もちろん食材費も無視。 その流れで料理の他にのめり込んでしまったのが「麺づくり」だ。 パスタもラーメンも自分で麺を打つ。


寝かせる日数も実験する。 そのため、冷蔵庫には一、二週間寝かせた麺が沢山ある。 子どもたちはそれを見て、食べて、「すげえ、すげえ」と言ってくれる。 心の中で僕は「誰やと思てんねん」とツッコミを入れているが、悪い気はしない。 それにしてもなぜ自分がここまでのめり込んでいるのか。 子どもの「すげえ」がモチベーション、というわけでもない。 それは意外にも、メキシコやペルーといった産地に行けない年だから、自分の心を刺激するものとしてやっているんだということが最近自分でもわかってきた。

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