22.11.07 (2/4ページ)
Vol.20

WELCOME TO NEW POP WORLD

僕をつくりだす基礎

 この後のテーマにも出てくるが、僕がお菓子づくりをする上で意識していることがある。 僕は基本的に「今、何が流行っているか?」ということを考えたことがない。 プロらしいテクニカルな技術は創作する上で重要なことではあるが、そこばかりが前に出過ぎないよう、できるだけ誰もが楽しめるPOPなモノづくりを常に心がけるようにしている。 この僕が思う“POP”というのは「誰もが大好きな味」を意味している。


僕の修行時代に「ティラミス」というお菓子が、流行り物には興味がない僕の耳にも届くほど流行っていた。 当時の僕はイタリアにも行ったことがなく、本場のティラミスも食べたことがなかったが、想像力を働かせて、自己流ティラミスを創ってみた。 ココアのジェノワーズにエスプレッソコーヒーシロップをたっぷり染み込ませ、生クリームをサンド。 ナッペした上にマスカルポーネチーズのムースをスプーンですくい、細かく削ったチョコとココアで仕上げた。 5号サイズを6カットにしたので、見た目がコロンとしていて可愛く、凄く美味しいケーキが出来上がった。 そのケーキはティラミスブームもあり、瞬く間に大ヒットした。 しばらくすると世の中のブームは去り、全国のショーケースからティラミスが消えていったが、その自己流ティラミスは、一目ではティラミスには見えなかったので、流行の影響を受けることはなかった。 それ以降僕は、クラシカルなケーキは配合や構成を自分なりにアレンジして、僕が美味しいと思う、自分自身が食べやすいものへと着地させた。 ウイークエンドシトロンがその典型的な例だ。 そこでは先輩から学んだレシピの基礎、味覚の基礎以外に、母親から学んだ遊び方の基礎が役に立った。


僕は子どもの頃によく絵を描いていた。 1枚の小さな紙では飽き足らず、模造紙ほどの大きな紙に描かせてもらっていた。 それでもまだ物足りなくて、その線の延長線で壁にまで僕の欲求は伸びていった。 平面の世界から壁につたうことではじめて立体的な世界を知ることになる。 習った形がないので、継承させる義務がなく、常に我流であることと、枠をはみ出すアートを経験出来たお陰で、エスコヤマで創ってきた数々のお菓子のレシピをはじめとする、店舗やパッケージなどのデザインを創作出来ているのだと思う。 遊びの自由な表現と楽しみ方と、物に熱中する方法を母親から学び、それが自分自身のクリエイティブの源泉となっている。


そしてもう一つ、僕の創作活動の中で役立っている基礎は“癖”の中にもある。 それは考察癖だ。 僕は映画やドラマを考察しながら見るのが好きだ。 しかし、ぼーっと見ていてなんとなく頭に入ってくる感覚も好きで、考察することは好きだけど、ずっと考えながら映画やドラマを見ることはあまり好きではない。 考察癖と矛盾していると思われるかもしれないが、自然と頭の中や心の隙間に入ってくるような瞬間に、その癖が発動するのだ。


例えば料理を食べていて「美味しい!」と思う瞬間、音楽を聴いていて「めっちゃええ曲やなぁ」と感じる瞬間がそれだ。 そんな瞬間はテクニカルなことはあまり考えない。 でもその瞬間に創作癖が発動し、自分の基礎を使ったオリジナリティ溢れる創作を生むのだと思う。 例えば、僕はMr.Childrenというアーティストのモノづくりが好きだ。 彼らの代表作に「終わりなき旅」という曲がある。 誰が聴いても名曲だと思うだろう。 創り手は色んな仕掛けやテクニックを駆使して、聴き手がそう感じるように、誰が聞いても理想的な場所へと自然に着地させてくれている。 僕がここで言うテクニックとは“演奏力”や“歌唱力”といったものではない。 「この曲は7回転調させた」と、わざわざ聴き手に対して言わないけれど、さりげなく人の心に心地よく響くように仕向ける。 彼らのそんなところにやられてしまうのだ。


僕が常に意識している“POP”は、自分が生きてきた中で培ってきた基礎から創作されている。 僕は洋菓子業界の流行は全く気にかけないが、創作のオリジナリティの根幹はジャンルを問わず「人の作品の影響を受けた」ということになると思う。 若い時に「なるほど、世の中の物のカタチはこう出来ているのか」と、人の作品や伝統、古典的なことを吸収し、考察することで自分のオリジナリティが形成されると思うからだ。


修行時代、新入社員だった会社の同期達は「0から頑張ります!」と言っていたが、僕は「19歳まで生きてきた中で、経験したことが活きないはずはないだろう」と思っていた。例えば、当時納品された苺を検食せずに使う先輩がおられた。 でも僕は、「検食せずに納品された苺は、ほんまに美味しい苺か?」と考え、僕が検食して1粒でも美味しいと思えなければしっかり説明して、返品させていただいた。 もちろん先輩にはめちゃくちゃ叱られた。 でも、美味しいお菓子を作るために修行しているのだから、美味しくないものを返品するのは当然のことだと思っていた。 僕は子供の頃に食べた、すごく甘くてほのかな酸味がきいているものが美味しい苺だと思っている。 甘さが足りないものにあたった時は、練乳をかけたり、砂糖と牛乳を入れてスプーンで潰して食べたりと、「美味しい」を理解し、美味しく食べる為の工夫をした。 今まで生きてきたなかで自分が培ってきた経験や、基礎の上に今の自分が成り立っている。 それを活かさない理由が僕には分からなかったのだ。 職人になってから30年以上経つが、その時の自分の判断は間違えていなかったと言える。

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